2013年4月30日火曜日

【英文解釈】 東京大1982:4A


If you are indecisive and plan to do something about it, you can take immediate comfort in the fact that indecision is not necessarily due to ignorance and slow thinking. (a)On the contrary it is often thinking of so many things and consideration of so many doubts that result in the difficulty to reach and act on a simple decision. The more intelligent you are, the more you may be inclined to consider rapidly many factors before making a decision. If you were feeble-minded, you would have little or no difficulty, for you wouldn't be able to think of a variety of possible consequences. (b)Your difficulty may be that you have acquired the habit of applying to a multitude of little, unimportant things the same serious consideration you might advisedly give to vital matters.(東京大1982:4A)
もしもあなたが決断力に欠けていて,そのことを何とかしようと考えているのであれば.決断力の欠如は必ずしも無知や頭の回転の鈍さのせいではないということを知れば,まず気が安まるであろう。(aそれどころか、一つの単純な結論に達してそれに基づいて行動するのが困難になるのは,いろいろな事を考えたり、いろいろな疑念を検討したりするせいである場合が多いのである。あなたが頭のよい人であればあるほど,決定をくだす前に.たくさんの要素をてきぱきと考察する傾向がそれだけ強くなるかもしれない。かりにあなたが精神薄弱だとすると,ほとんどまたは全然難儀しないだろう。なぜなら,あなたは場合によっては起こるかもしれないさまざまな結果を思い浮かべることができないだろうから。(b問題は、重大な事がらに向けるほうが賢明と思われる熟慮を、ささいな取るに足りないたくさんの事がらに向ける習慣があなたについてしまっていることにあるかしれない全国大学入試問題正解(旺文社)】

 まず気に懸かるは feeble-minded という語を「精神薄弱」と訳している点である。出題から30年が過ぎ、今とはやや印象は異なるのであろうが、少なくとも現在では「病的」な意味合いが強く感じられる言葉なので使いづらい。辞書には次のような意味が載っている。
ランダムハウス英和大辞典(小学館)
 【1】《俗に》知能の低い、低脳の
 【2】《もと》[医学]知能の遅れた
 【3】愚かな、ばかな
 【4】《古》気の弱い、意志薄弱な、優柔不断な
ジーニアス英和辞典 第4版(大修館書店)
 (1)決断力を欠く、優柔不断な
 (2)《やや古》精神薄弱の、知能の低い


  小西友七氏編集の2つの辞書が「優柔不断」という意味において、出版年の古い『ランダムハウス英和大辞典』では《古語》と表記され、最新の『ジーニアス英和辞典(G4)』では第一義となっていることが注目される。
 いずれにせよ、この feeble-minded は1行目のindecisive (決断力を欠く)のバリエーションと考えるべきであろうと思われる。
 この一節の主題はIf you are indecisive(もしあなたが決断力に欠けていれば)と考えられるが、feeble-mindedをindecisiveのバリエーションと考えれば主題(Theme)が首尾一貫するが、別物と考えてしまうと、右往左往した訳文となってしまう。
自分が決断力に乏しいから,これを何とかしようと思っている人がいたら,決断力の乏しさは必ずしも無知や血の巡りの悪さのせいではないのだということを知ればすぐにも慰められよう.(aそれどころか,単純な結論に到達し,それに基づいて行動することすらなかなかむずかしいのは,非常に多くのことを者えたり非常に多くの疑念を検討したりするためである場合が多いのである. 知的な人であればあるほど,決断を下す前にあれこれと多くの要素を検討する傾向がいっそう強いのかもしれない.頭の弱い人の場合は,むずかしさはほとん ど,ないしはまったくないであろう.というのは,そういう人の場合は起こり得るさまざまな結末を思い浮かべることができそうもないからである.(b優柔不断な人の場合は,決断力に乏しいといっても,些細(ささい)で取るに足らぬ多くのことを,重大な問題に対してなら望ましいと思われるのと同様な姿勢で,真剣に考えてしまう癖が身についてしまっているだけということなのかもしれないのである.【高橋善昭『英文和訳講座』(研究社)】
 主題が一貫しないから何を言いたいのか分からなくなってしまっている。これでは、第1,2文が「決断力に乏しい場合」、第3文は「知的な人の場合」、第4文が「頭の弱い人の場合」、第5文が「優柔不断な人の場合」と様々な場合をただ羅列しただけになってしまっている。
この一節はおおよそ次のような流れである。

第1文:決断力がなくても必ずしも問題ではない。
    第2文:決断できないのはいろいろ考えるからだ。

第3文:頭の回転が速ければ速いほど結論を導く前にいろいろ考えるものだ。
第4文:決断力がなければ、決断するという面倒はない。
    第5文:ただ面倒なことは、些細なことにも考えすぎてしまうことだ。

 【池内直訳】もしもあなたが決断力を欠いていて、それについて何かをやろうと計画しているのであれば、不決断は必ずしも無知と遅い思考のせいではないという事実であなたは即座の慰めを得ることができる。(a)それどころか反対に、簡単な決定に達し、それに基づいて行動することの困難を招くのは、しばしば非常に多くのことを考え、非常に多くの疑いを考慮するからである。あなたが知的であればあるほど、決断する前にたくさんの要因を素早く考慮する傾向が強くなるかもしれない。もしあなたが決断力を欠いていれば、あなたにはほとんどあるいは全く困難はないだろう。というのは、様々な可能な結論を思い付くことができないであろうからである。(b困難なのは、おそらく極めて重要な問題に対してならよく考えて与えるかもしれないのと同じ真面目な考慮を多くの小さな重要でないことに応用する習慣が身についてしまっているということであるかもしれない

【池内意訳】もしもあなたが決断力を欠いていて、それを何とかしようと思っているのなら、決断力がないのは必ずしも無知や頭の回転が悪いからではないのでひとまず安心してください。(a反対に、多くの場合、非常に多くの物事を考え、非常に多くの疑惑を慮るからこそ、安易に決断し、それに基づいて行動するのが面倒になるのである。頭の回転が良ければ良いほど決断する前に素早く多くの要因を考慮するものである。決断力を欠いていれば、ほとんどといって面倒なことはない。というのは、様々な可能性のある結論を思い付くことができないであろうからである。(b面倒なのは、極めて重要な問題とおそらく同様に多くの小さな重要でないことにも真面目に熟考の上に熟考を重ねる癖がついてしまっていることであろう
(参考)
 【東大の英語25ヵ年[第3版](教学社)】
もしもあなたが優柔不断であり,それを何とかしようと思っているのなら,優柔不断というのは必ずしも無知と頭の回転の鈍さのせいだとは限らないということを知って,すぐに気が楽になるだろう。(
aそれどころか,あまりに多くのことを考え,あまりに多くの疑念を考慮するからこそ,簡単な結論に到達し,それに基づいて行動するのに苦労することが多いのである。頭がよければよいほど,多くの要因を手早く考慮してから決断を下そうとするだろう。もし頭が悪ければ,苦労することはほとんど,あるいはまったくないだろう。というのも,生じうる様々な結末を考慮することができないからである。(b難儀なのは,重大なことをことさら真剣に考慮するのとまったく同じように,数多くのちょっとした,取るに足りないことを考慮するという習慣が身についてしまったことであろう

【筒井正明『大学入試 英文解釈 その読と解』(駿台文庫)】
もしあなたが自分は決断力かない.この性格はなんとかして直さなくてはと考えているのだったら,不決断は必ずしも知識のなさや思考力の鈍さが原因ではないという事実を考えて気を楽にしてもらいたい.(
aそれどころか,どれか一つの結論に到達し,それをすくに行動に移すことがなかなかできないというのは,多くの場合,前もって非常に多くのことを考え合わせ,実に多くの危険な可能性を考慮に入れているからなのである.知性的な人であれはあるほど,決断を下すまえにたくさんの要因をすばやく考え合わせてみる傾向が強くなる.もしあなたが知性的に劣る人間だったら,起こりうる種々の可能性を考慮する能力がないことになるから,決断を下すにもほとんど苦労は覚えないことであろう.(bむしろ,あなたがいけないのは,最重要の事柄にはそれこそ慎重な考慮を重ねることが賢明なのに,たくさんのささいなとるに足りぬ事柄にもそれと同じくらい深刻に考え込んでしまうクセがついてしまっていることてある

1 件のコメント:

  1. 大変示唆に富む投稿拝読、勉強させてもらっています。ただ、こちらの解釈については、先生のご意見を拝読しましたが、高橋説が正しい気がします。
    すなわち、第3文と第4文は対照的な内容を並べただけではないかと。全体として要は、知能がある賢いからこそ迷うのだ、そう気にするな!ということを言いたいのではないかと思いますがいかがでしょうか?

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