2014年2月17日月曜日

文頭のAnd / But について


「文頭ではButではなくHoweverを使え」という話を耳にすることがある。彼らは、
 
(1)          I went to see Mike. But he wasn't there.

のように文頭でButを用いるのは誤りで、

(2)     a. I went to see Mike, but he wasn't there. 

    b. I went to see Mike. However, he wasn't there.

と書き換えねばならないと主張する。彼らの主張は、どうやらand, butといった「等位接続詞」(coordinate conjunction)は、主語と動詞が2組ある「重文」(compound sentence)(2.a)で用いるもので、1組しかない「単文」(simple sentence)(1)では使えないということのようである。

 しかし現実の英語を見れば、新聞雑誌的なものから学術論文に至るまで、「文頭のBut」が否定されるような状況にないことは誰の目にも明らかである。

 ここで、これらの文はニュアンスの違いによって次のように区別できると思われる。

(3)     a. I went to see Mike, but he wasn't there.
   
(私はマイクに会いに行った、彼はそこには居なかった)

    b. I went to see Mike. But he wasn't there.
   
(私はマイクに会いに行った。しかし彼はそこには居なかった)

    c. I went to see Mike. However, he wasn't there.
   
(私はマイクに会いに行った。しかしながら、彼はそこには居なかった)

 「文頭のBut」を否定する人たちは、受験英語や学術英語といった特殊な英語空間の中だけにいるために実際の英語に触れる機会がなく「文頭のBut」を目にしない、ということなのだろうか。あるいは、実際に使われているのを知りつつも、これが誤用だという「固定観念」(stereotype)に縛られてしまっていて現実を否定し無視しているのであろうか。

 『英文法解説』『英文法総覧』『ロイヤル英文法』など手元にある文法書を一通り確認したが「文頭のBut」に関する記述は見当たらなかった。インターネット上にはこのような指摘を行っているページも見られるが、根拠が示されておらず趣味嗜好の域を出ない。
 
 百歩譲ったとしても、これはあくまでも「べき論」であり「文体」(style)の問題でしかない。したがって、試験で「文頭のBut」を用いたとしても減点される謂(い)われはない。

 『ジーニアス英和辞典』(大修館書店)には次のように書かれている。

(4)     書き言葉でbutを文頭に用いるのは間違いではないが避けた方がよいとされる。

 確かに「文語体」(literary style)においてbutのような軽い語を用いるのは、特に格調の高さが求められる学術論文などでは、出来得れば避けられるべきものなのであろうとは推察され得るけれども、一般的な「書き言葉の英語」(written English)までもbutが使えないなどと言うのは言い過ぎである。

(5)     文頭にbutを使うことはすぐれた作家にも見出されるが、抵抗を感じる人もいる。―『現代英米語用法事典』(研究社)

例を挙げてみよう。

(6)     Poetry is not a turning loose of emotion, but an escape from emotion; it is not the expression of personality, but an escape from personality. But, of course, only those who have personality and emotions know what it means to want to escape from these things.T.S.Eliot, Tradition and the Individual Talent

(詩は、情緒の解放ではなく情緒からの逃避である。個性の表現ではなく個性からの逃避である。しかし、勿論、個性と情緒がある人たちにしか、これらのことから逃れたいということが何を意味するのか分からない)

(7)     Fatigue is of many sorts, some of which are a much graver obstacle to happiness than others. Purely physical fatigue, provided it is not excessive, tends if anything to be a cause of happiness; it leads to sound sleep and a good appetite, and gives zest to the pleasures that are possible on holidays. But when it is excessive it becomes a very grave evil.Bertrand Russell, The Conquest of Happiness

(疲労には多くの種類があるが、幸福の大きな障碍となるものもあればならないものもある。純粋に肉体的な疲労は、過度でなければ、どちらかといえば幸福の原因となる。それは熟睡と旺盛な食欲をもたらし、休日に可能な楽しみに趣を添えてくれる。しかし度を越すと重大な禍となるのである)

(8)     If this book dealt with a South Asian or Middle Eastern people, it might well have started with a consideration of religion. Even for most Western nations, religion would have required earlier and fuller treatment. But religion occupies a more peripheral position in Japan. Edwin O. Reischauer, The Japanese

(もし本書が南アジアや中東の民族を扱うとすれば、宗教を検討することから始めたかもしれない。大部分の西洋の民族にとってさえ、もっと早く充分に宗教を取り扱うことが要求されたであろう。しかし宗教が占める位置は日本では末梢的なものである)

T.S.エリオット、ラッセル、ライシャワーといった文豪たちが「文頭のBut」を用いているのを一体誰が咎め立てできるというのだろうか。

(9)     A traditional grammatical rule asserts that sentences beginning with and or but express "incomplete thoughts" and are therefore incorrect. But this stricture has been ignored by writers from Shakespeare to Joyce Carol Oates, and most of the Usage Panel sees wisdom in this attitude. In our 1988 survey, when asked whether they paid attention to the rule in their own writing, 24 percent answered "always or usually," 36 percent answered "sometimes," and 40 percent answered "rarely or never." The American Heritage Dictionary of the English language

(伝統的な文法規則では、andbutで始まる文は「不完全な考え」を表すので正しくないとされている。しかしこの厳格さはシェイクスピアからジョイス・キャロル・オーツにいたるまでの作家たちにずっと無視されてきたし、語法委員会の大半がこの態度を賢明だと見なしている。我々の1988年の調査で、執筆する際この規則に注意を払うかどうかを尋ねたところ、24%が「必ずあるいは大抵」、36%が「時々」、40%が「滅多にないあるいは全くない」と答えた)

要するに、

(10) But may be used to begin a sentence at all levels of style. ibid
(すべての文体レベルで文を書き始めるのにButを使ってもよい)

ということである。文頭のAndも同様である。

(11) And beginning a sentence. That it is a solecism to beginning a sentence with and is a faintly lingering SUPERSTION. The OED gives examples ranging from the 10th to the 19th c; the Bible is full of them. Fowler’s Modern English Usage 

(文を始めるandandで文を始めるのは文法違反であるというのは、いまだ消えない「迷信」である。『オックスフォード英語大辞典』には10世紀から19世紀にまたがる数々の例が挙げられており、聖書にもたくさん見受けられるものである)

(12) You use and at the beginning of a sentence to introduce something else that you want to add to what you have just said. Some people think that starting a sentence with and is ungrammatical, but it is now quite common in both spoken and written English. English Cobuild Dictionary

(文頭のandは、直前に言ったことに何か付け加えたいことを導くために用いられる。andで文を始めるのは非文法的だと思っている人もいるが、今では話し言葉の英語でも書き言葉の英語でもまったく一般的である)

 しかし、事態はもっと進んでいる。1970年代に米国でPlain English(平易な英語)を推奨する運動が起こり現在もその流れにある。

(13)    Perhaps we can all agree that beginning a sentence with but isn't wrong, slipshod, loose, or the like. But is it less formal? I don't think so. In fact, the question doesn’t even reside on the plane of formality. The question I'd pose is, What is the best word to do the job? William Zinsser says, quite rightly, that but is the best word to introduce a contrastOn Writing Well. I invariably change however, when positioned at the beginning of a sentence, to but. Professional editors such as John Trimble regularly do the same thingWriting with Style. Bryan A. Garner, On Beginning Sentences with But, Michigan Bar Journal, October 2013

butで文を始めることは間違いではないし、ぞんざいでもないし、だらしないなどといったことでもないということにおそらく皆が同意するだろう。しかし正式さに欠けるのか。私はそう思わない。それどころか、この問題は形式の次元にもない。私が問いたいのは、この働きを行う最良の語は何かということである。ウイリアム・ジンサーはまったく公正に、butが対比を導く最良の語だと言っている。私は必ず文頭に置かれたhoweverbutに変えている。ジョン・トリンブルのようなプロの編集者も同じことを一様に行っている)

 アカデミックな論文のように文を飾り立てる必要がなければ、プレイン・イングリッシュで書くべきである。その際、逆接の接続詞としてButが最良だということである。

 逆に、逆接の接続副詞howeverは一般に文頭に置かない。


(14)     Bury it between commas, or replace it with but or nevertheless.
(コンマとコンマの間に埋め込むか、butneverthelessに置き換えよ)

Poor However, the day had not been entirely lost.

Improved
 But the day had not been entirely lost.
 
   Poor However, the script that Alcuin invented became the forerunner of modern
   handwriting.

Improved
 The script that Alcuin invented, however, became the forerunner of
          modern handwriting.
   
                         - Sheridan Baker, The Complete Stylist

2013年12月10日火曜日

第4文型(SVOO)の受動文について

(1) 
主語
動詞
目的語
目的語
He
gave
me
the book.

のように目的語2つとる第4文型(SVOO)の文は受動文を2つ作ることができる」と説明されることが少なくないのではないだろうか。実際、そのように書かれている文法書や参考書も少なくない。名著の呼び声高い『英文法解説』はその代表格である。

(2) 江川泰一郎著『英文法解説』(金子書房)改訂三版
S+V+IO+DO a) 直接目的語(DO)を主語とする受動態と b) 間接目的語(IO)を主語とする受動態とができる。
My aunt gave me this watch.
  a) This watch was given (to) me by my aunt.
  b) I was given this watch by my aunt.
(参考)同様の記述が見られる手元の高校生向け参考書山口俊治著『コンプリート高校総合英語』(桐原書店)、和田稔編集『SEED総合英語』(文英堂)新訂版、松山正男監修『完成チェック新総合英語』(中央図書)、塩澤利雄監修、時岡裕純著『フォワード新高校英語』(桐原書店)、伊勢山芳郎監修『スマッシュ高校新総合英語』(研数書院)

 私が気になるのは

(3) This watch was given (to) me by my aunt.

のように前置詞toに括弧を付けてしまっている点である

(4) 小西友七著『英語のしくみがわかる基本動詞24』(研究社)
 8.25 The book was given (to) John.
    その本はジョンに与えられた。
この第4文型の受動文は、O2をSにした場合、つまり「本は誰に与えられたか」ということが話題になっている時、こうした形をとります。
 ところで、この例文でtoがカッコに入っているのは、toをつけてもつけなくてもどちらでもよいということだ、と考えていませんか? これは「どちらでもよい」のではなく、「つける場合とつけない場合がある」と解釈して下さい。どのような時にtoが必要で、どのような時にtoをつけなくてよいのかは、その受動文の元になった文を考えればわかります。
 8.26 The book was given John.
    ←I gave John the book.
 8.27 The book was given to John.
    ←I gave the book to John.
すでに述べたように、8.27はJohnを強調した言い方です。「誰に与えられたか」という時、多くの場合O1に重点が置かれていますから、8.27の形が普通なのです。

 つまり、能動文と受動文の対応関係は次のように考えるべきである。

(5) a. My aunt gave me this watch.
     =I was given this watch by my aunt.
    b. My aunt gave this watch to me.
     =This watch was given to me by my aunt.

ここで確認すべきは、(5.b)は能動文がto meとなっているから、受動文もto meとなるのであって、能動文にtoがないのに受動文にtoが発生するのは理屈からいってもおかしいということである。

(6) My aunt gave me this watch.
   ≠This watch was given to me by my aunt.

したがって、

(7) My aunt gave me this watch.
     This watch was given (to) me by my aunt.

のように表記するのは誤りだと言うべきであろう。

 私は「能動文の動詞の直の語が受動文の主語となる」と一般化できると考えている。

(8) a) He gave his son the book.  → b) His son was given the book by him.
     c) He gave the book to his son. → d) The book was given to his son by him.

このように考えれば、(8.a)のthe bookは動詞の直後の語ではないので受動文の主語にはなれないことが分かるだろう

 ただし、「人目的語」(間接目的語)が人称代名詞のときは、まれに第4文型の「物目的語」(直接目的語)が受動文の主語となる場合がある。

(9) He gave me the book. → The book was given me by him.

これは、動詞と人称代名詞が「群動詞」のようにとらえられて、

(10)  
主語
動詞
目的語
He
gave me
the book.

のように第3文型(SVO)のように見なされることで起こると考えられるが、特異な現象なので、混乱を避ける意味でも中学高校生は無視してよい知識だと思われる。

(11) 小西友七編『英語基本動詞辞典』(研究社出版)
‘give O1 O2’ のO1‘give O2 to O1 ’ のO2 を主語にした受身形が普通:(i) The boy was given a present. (ii) A present was given to the boy.[cf. Palmer, Verb2, pp. 83-84](中略)‘give O1 O2’ のO2を主語にした受身形、(iii) A present was given the boy. も考えられるが、この表現は非常にまれである。

2013年9月29日日曜日

関係代名詞目的格 who について

一昔前の文法の教科書には次のような関係代名詞の一覧表が掲げられていた。

先行詞
主格
所有格
目的格
人間
who
whose
whom
which
whose, of which
which
人間・物
that
that
江川泰一郎:A NEW STEP to English Grammar(東京書籍)

一方、現在の教科書は次のようなものである。

先行詞
関係代名詞
主格
所有格
目的格
who
whose
who(m)
人以外
which
whose
which
人・人以外
that
that
総合英語Forest Framework English Grammar in 23 Lessons6th edition】(桐原書店)

違いは、人を先行詞とする関係代名詞目的格が whom から who(m) に変わっているということである。つまり、目的格who もOKとなっているということである。

 専門的な文法書では目的格whoも使用可能であることはとっくの昔に指摘されてきたことであるが、保守的というか臆病というか、日本の英語教育の現場でこれを指導することが避けられてきた。が、今や目的格who日本の英語教育における市民権を得たと言ってよいだろう。それどころか、目的格whomの重苦しさを指摘するものも少なくない。

(1) whomは文章体。目的格の働きをする場合でもwhoが用いられることが多い。― 同上、p. 66
(2) whomはやや古くかたいので、日常的には、かわりにwhothatを使ったり省略することが多い。― CROWN English Grammar 27 Lessons(三省堂)、p. 56
(3) whomの形は、「前置詞+whom」以外では、通例用いられず、代わりにwhoが用いられる。 ― 安井稔『英文法総覧』(開拓社)、p. 250

 河上道生・広島大名誉教授が『英語参考書の誤りとその原因をつく』(大修館書店)で、

 (4) 英米の文法書にのるようになった関係代名詞whomformal>に代わるwhoinformal>を高等学校で教えるべき時はすでに到来している。― p. 475

と言われてから既に20年あまりが過ぎている。

(5) 【問題例2.8.37a】出題ミス その37 
   She was a girl (      ) it was difficult to know well.
  ① which  ② where  ③ who  ④ whose  ⑤ whom  (東海大)
【コメント】伝統的な規範文法では、この場合whomが正しいと考えられてきた。しかし、現代英語ではwhoのほうがよく使われている。この程度のことは、英語の教師ならとっくに知っているはずのことである。実際、何十年も前から目的語としてwhoを用いた例は英米の文法書に見られる。したがって、出題者は無知、怠慢のそしりを免れない
 念のために説明しておくと、whomは、(a)特に公式の文書で、(b)前置詞の直後で使われる。だから、現代英語では下の(1)(3)のように言うのが標準的であろう。
 (1) the girl I spoke to
 (2) the girl who I spoke to
 (3) the girl to whom I spoke to
 なお、the girl whom I spoke toも可能ではあるが、普通ではないし、whomという堅苦しい語と、前置詞を文末に置くという日常会話での言い方が混合されたぎこちない言い方である。Gareth Watkins・河上道生・小林功『これでいいのか大学入試英語』(大修館書店)、pp. 180-181          

 以上は高校英語および大学入試における問題であった。これを中学英語、高校入試に置き換えると、目的格whoの容認度は低いと言わざるを得ない。というのは、文部科学省が定めた「指導要領」には、目的格のwhoはおろかwhomも指導範囲に入っていないからである。関係代名詞が省略された形(「接触節」ともいう)を用いればこと足りるし、関係代名詞が必要なら、オールマイティーのthatを用いればよいという考え方をとっているため、目的格whoが認められるかどうかが検討されるところまでいっていないのである。

 ということもあって、私が目にした高校入試問題の実例は残念ながら次の1例に留まる。

(6) Within shopping centers there are many people there who they do not know.
(ショッピングセンターの内側には、自分たちが知らない人がたくさんいる)
                           【京都女子高2010
 一方、関係代名詞whomを答えさせる次のような問題もある。

(7) She is a teacher (      ) all the students like.

 ア which  イ whom  ウ whose  エ what  【大産大附高2012

が、指導要領を逸脱し、なおかつ使用頻度を無視するこのような出題に私は大いに首を傾げる。

(8)   a. She is a teacher all the students like.
       b. She is a teacher that all the students like.
     c. She is a teacher who all the students like.
     d. She is a teacher whom all the sudents like.

使用頻度はaが最も高く、bcと順に続きdが最も低い。さらにabは指導要領内、cdは指導要領外の表現である。にもかかわらず、どうしてdwhomを答えさせる必要などあるのだろうか。

 高校入試は単に中学英語の総まとめテストではなく、高校英語への橋渡しの役割もあるという考え方もあるだろう。したがって、必ずしもすべてを指導要領内の内容だけで作成する必要はないとも言える。が、果たして関係代名詞目的格whomはそういった橋渡し役を担うべきものと言えるだろうか。

「前置詞+whom」を別にすれば、私はこのwhomの必要性をほとんど感じない。つまり、高校入試で問わなければならない理由は見当たらないということである。

(9) She is a teacher ( who , whom ) all the students like.

のような答えようのない問題でないことだけが救いである。